学術的なギフテッドの線引きに意味はなく、リアルなギフテッドを知る

学術的なギフテッドの線引きに意味はなく、リアルなギフテッドを知る

学術的に言うと、ギフテッドというのは非常に曖昧な存在です。

一般的に言われている、先天的に同年代の子より優れた能力を持っている人、という定義は非常に微妙な表現です。

ギフテッドの優れた能力と言うのは、一般的に知られているIQや知能面だけでなく、絵画の才能、音楽の才能など芸術な面に関しても、先天的に同年代の子より優れていれば広義の意味で言えばギフテッド(タレンテッドとも言う)に該当します。

良く考えてみれば、ギフテッドの定義は矛盾していると思いませんか?

産まれた時は誰もが無垢で無知な赤ん坊です。そもそもIQ検査も受けられませんし、絵も描けない、音楽も奏でることは出来ません。

厳密に言えば、先天的に同年代の子より優れた才能などあり得ないのです。あらゆる才能は後天的に身につけるものです。ただし後天的に身につけた才能はギフテッドの才能でなく努力の結果や、訓練な結果の賜物でしょう。

ではギフテッドとは何者なのか?物覚えの良い要領の良い子がギフテッドなのか?何を持って定義すれば良いのか?

ギフテッドのことを学術的に調べても、インターネットで調べても明確な答えは出てきません。調べれば調べる程、多くの矛盾点があり、書かれていることも様々です。

そもそも学術的にギフテッドの明確な基準が確立されていないので、上記のような現象が起きるのでしょう。

またギフテッドの子を持つ親の身としては、ギフテッドという学術的な線引きに意味はありません。

それよりも、目の前の息子は何者なのか?どう育てれば良いのか?を知りたいという思いの方が強かったです。

そういった思いの中、ギフテッドの息子を育てきて色々な体験した結果、私の中でのギフテッド像の捉え方が固まりつつあります。

私のギフテッドの捉え方は「先天的に人とは違った感覚=OE(過度衝撃)を持った人物」です。

初めにお断りしておきますが、上記の捉え方は学術的なギフテッドの定義ではありません。(今回の記事は私の考える要素が大きい記事になっています。)

今回の記事はなぜ私が、ギフテッド=先天的に人とは違った感覚を持った人物と考える理由を纏めてみます。

 

先天的な才能か、後天的な才能か

冒頭にも触れましたが、ギフテッドの定義である先天的な才能というのはあり得ません。

IQしかり、芸術的な才能しかり、才能とは経験して訓練して身に着けていくものです。英才教育の結果、IQ130以上を身につけたり、周りより優れた音楽の才能を示すことが出来れば、ギフテッドになるのかと言えば、答えはノーです。

では勉強でも音楽でも、10教えて5理解するのが凡人で10分かるのがギフテッドと言えるのでしょうか?この定義だとギフテッド=物覚えの良い子、要領の良い子になってしまいます。こちらも答えはノーでしょう。

ギフテッドのOE

ギフテッドはOE(過度激動)と言う特徴を持っています。

学術的な意味でのOEの記事はこちら ←

学術的な意味でのOEは上記の記事で説明しています。

OEとは端的に説明すると精神的に激しい動きのことです。

このOE、精神的に激しい動きがあると一般的な人の感覚とは違うように世界が見えているんだろうと思います。私たちから見る世界とギフテッドの目から見る世界では景色が違って見えているのです。

世界の景色が違って見える例を挙げると、あらゆる音の高さが分かる絶対音感、文字に色がついて見える共感覚などを想像すると理解しやすいかもしれません。(絶対音感や共感覚がギフテッドの特徴というわけではありません。)

息子の例

息子は言葉が喋れない幼少時代から、夜中に布団から飛びててボクシングのスウェーのような動作を行うことがありました。

児童相談所に相談に言ってもその行動は謎のままで原因が不明だったのですが、数年後、喋れるようになった息子にその動きは何の為にやっているのか聞いたら「文字が襲ってくるから逃げてる」との説明を受けました。

本人の説明によると、その日に覚えた言葉や文字、その日にあった出来事が本人目指して突進してくるので避けてるらしいです。

また寝る前にニヤニヤ笑っている時もあり、理由を聞くと「目の前で数字達がコミカルにダンスしてるから」という日もありました。

私はギフテッドではないので、息子の言ってる意味がよく分かりませんが、文字や数字、その日見た光景などを私とは違う捉え方をしているんだろうと思います。その捉え方の違いで記憶力が高いのではないでしょうか?そして、その捉え方の違いは、ギフテッドの持つOE(過度衝撃)から作り出していると私は考えています。

OEと才能

上記の息子の例はギフテッドの一つの例でしかありません。

OEというのは、精神、五感、想像、知性、感情という5分類に分けられます。その5つのOEの強弱、種類のバランスで様々なタイプの才能が生じるんだと思っています。例えばOEのバランスの結果、空間把握が非常に優れ、絵の才能に発揮されたり、OEによって、音を人と違う感覚で捉え、偉大な作曲家になったりするのではないだろうか、と。

そう考えるとギフテッドが学術的な才能を持つ者だけでなく、芸術的な才能を持つ者がいるのも納得出来ます。

またギフテッドの人とは違った感覚であるOEは一般人と比べ異質です。なのでOEによって生み出されたギフテッドの才能と言うのも、一般の人の才能より比べ、優れている才能というわけではなく、異質の才能と捉えています。

始めの先天的な才能か?後天的な才能か?の私の答えは以下の通りです。

ギフテッドは生まれつき人とは異なる感覚(OE)持つ、その感覚の結果、後天的に人並以上の才能を持つことがある。

そう考えると、人とは異なる感覚を持って生まれても、その感覚に合った教育を受けなければ才能が伸びることはないでしょう。OEを持って産まれても、その才能を発揮できず埋もれてしまった人も沢山いたんだと思います。

最後に

改めて言いますが、今回の記事は私の意見が色濃く交じっています。学術的なギフテッドと混同しないように注意願います。

息子がギフテッドと判明した時は、ギフテッドは何なのか?と学術的な意味を色々調べていましたが、実際に育てていくうちに、学術的な意味や線引きなどは、関心が薄れていきました。それよりも、リアルな息子は何者なのか?どう育てれれば良いのか?を考えるウエイトが大きくなっていきます。

その結果、 たどり着いたのがギフテッドは生まれつき人とは異なる感覚(OE)持つ、その感覚の結果、後天的に人並以上の才能を持つことがある。という思いです。

そう考えると、ギフテッドを育てる時に重要なのは、初めに、その子の異なる感覚を知ることでしょう。次に、その異なる感覚はどうやったら伸ばすことが出来るのか?(マイナスの感覚なら、どのようにフォローするか?)を考え、指導することが大切です。

「子供の才能は活かすか、殺すか、は親次第」

この言葉は療育の先生に言われた言葉です。

これからもその言葉を胸に息子と共に歩んで行こうと思います。

 

 

 

 

 

 

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