ギフテッド かん太の暴力

ギフテッド かん太の暴力

 

友達と喧嘩しては叩く日々

 

かん太は2年のある時期まで、クラスメイトや友達と喧嘩しては相手を叩くトラブルを起こしていました。

友達が使っている おもちゃが気になり、無理やり奪おうとして相手が抵抗するとコツン。
後ろから「ねぇねぇ。」と、肩を叩かれると、攻撃されたと勘違いしてコツン。
友達と楽しくゲームしていても 負けるとコツン。

 

幼稚園の面接では、生まれて初めて見る太鼓に大興奮。
面接そっちのけで太鼓を叩き、親と先生に注意されると「太鼓したい太鼓したい!!」太鼓のバチを振り回して大暴れ。

結果、、、、入園拒否。

 

1年後、療育を受けて ほんの少しだけ成長し、年中組での面接。
面接時は良い子にしてるんだぞ、、と何度も念押しし、ハラハラドキドキの面接でした。
結果、、、大きなトラブルを起こすこともなく無事に合格。

かん太の成長を認められたのでなく、
その年の入園する子供が少なかったらしく
園の方針が 「来るもの拒まず。」と変更になったのが大きな要因でした。

 

派手な幼稚園デビュー

 

入園した3日目です。

その日は、ジャンケンで勝った子から帰れるというゲームを実施しました。かん太はジャンケンに負け、列の後半にに並ばされました。すると、しばらくするとスタスタと歩いていき、先頭に並んでいる女の子の顔をバチンと平手打ち。

女の子は大泣きし、かん太は要注意人物として鮮烈なデビューを果たしました。

しかし、来るもの拒まず、と方針を変えた園には かん太と同等か、それ以上の要注意人物が数名入園。野球の松坂世代、将棋の羽生世代よろしく、その幼稚園を かん太世代が席巻していきます。

ちなみにかん太世代はみんな 療育で知り合ったかん太の友達ばかりでした。

 

かん太世代

かん太世代、かん太の友達と言っても その子達同士が仲良しというわけでもなく、それぞれがそれぞれの個性で回りに迷惑を掛け、先生に手を焼かす毎日でした。

かん太の個性は「普段は大人しいのに癇癪を起こすと手をつけられない。」という個性。

そしてその個性は、逆に言えば、「癇癪を起こさなければ大人しい。」という、性質なので、注意人物度が低く見積もられ、園内ではノーマークで自由に暮らしていました。

悪く言えば放置状態です。

かん太以上に手のかかる子たちがいたので、かん太の対応は毎回、トラブルを起こしてからとなり、週に一回はトラブルを起こしてました。

 

かん太は周りが鬼ごっこしていても参加せず、ニワトリを追いかける毎日でした。

 

かん太世代が卒業する時、かん太を担当していた先生が辞職しました。

理由は聞いていませんが、かん太世代に疲れてしまったのかもしれません。

 

 

育児ノイローゼ、モンスターペアレンツ、いがみ合う家族

 

小学校入学時、幼稚園の鮮烈デビューと同じ轍を踏まないようにと思ったのか、ママの行動がエスカレートしていきます。

授業中、教壇に立つ先生、席に座る生徒たち、教室の後ろから それを見渡すかん太のママ。

 

1学期の初めの頃は、それが当たり前になっていて、回りの生徒も「かん太君のお母さん、おはようございます。」と入室するのが朝の光景となりました。

 

「過保護すぎるっ、モンスターペアレンツ辞めろよ」と夫婦喧嘩を何度もし、「先生がかん太の暴力を止められないなら私が止めるしかない」と主張するママ、ママは当時、担任の先生とも対立していました。

かん太は小学校に入学し、大きくなるにつれ、癇癪やトラブルを起こす回数は減っていきましたが、それでも月に一回はケンカをし、相手を泣かすことが度々ありました。その都度、ママは相手の親に謝罪の電話をし、かん太を怒鳴ります。

育児ノイローゼになり、かん太に向かって「あんたなんきゃ産まなきゃ良かった。私の自由の時間を返してよっ!」と叫びます。

見るに見かねて、「子供になんてこと言うんだ。お前は療育の本を何冊も読み漁ってるのに、その本に子供を怒鳴って叱れ、と書いてないだろっ。」

「うるさいっ。向こうの親に謝るのは私なんだからね。もう嫌なのっ。」両親が自分のことで怒鳴りあうのを見て 大泣きするかん太。そんなふうに家族がいがみ合うことが月に一回はありました。

 

 

 

叩いたら友達に嫌われるよ、と忠告したら、、。

 

なかなか人を叩く癖がおさまらないかん太。ありきたりの忠告をすると、こう返事が返ってきます。

パパ「友達ばっかり叩いてると嫌われちゃうよ。」

かん太「そしたら僕も友達を嫌うから問題ないよ。」

 

 

かん太が七夕に願った叶いは、、、。

 

ある日、療育で七夕の短さくを作る行事があり、

かん太の短さくには こう書かれていました。

、、、、人を叩かないようになりたい。

 

それを見て

だったら叩かなければ良いじゃん、と内心、突っ込みを入れましたが

あぁー、かん太も叩きたくて叩いてるわけじゃないんだ、

彼なりに心の中で葛藤しているんだな、と知りました。

 

それから寝る前には

「かんちゃんが明日、パパとママと先生の言うことを良く聞いて一日おりこうさんでいられますように。友達には優しくて叩きませんように。交通事故に合いませんように。怪我も病気もしませんように。これからも、ずっとパパとママとかんちゃんが健康で笑って暮らせていけますように。パパはかんちゃんを愛しています。おやすみなさい。」

と、額と額を合わせ、お祈りするのが日課となりました。

 

 

今年(2年生)の七夕の短さくには

、、、お金が欲しい。     と、書いてました。

 

 

かん太が暴力を辞めた日。

 

かん太が暴力を振るう度に、ママが謝罪の電話を相手の親にかけていたのですが、大概は、「子供のすることですし、うちの子にも非がありますし、お互い様です。」と穏便に済むことが多かったのですが、いつか相手に大きな怪我をさせてしまわないか、相手の親が怒鳴り込んでこないか、心配していました。

そんな予感が現実になります。

最近、かん太がトラブル起こさなくなったな、と思っていたところ久々にトラブルを起こし、相手の女の子の頭をポカリ。給食の前の時間に、いただきます、の挨拶をクラスが静かになってから するそうなのですが かん太は周りの子とおしゃべりをしていて、女の子がそれを注意したところポカリとやってしまいました。

そこまではいつもと一緒なのですが、、

その女の子がその2日前に頭の手術をしており、お医者さんから「しばらく頭は絶対に衝撃を与えたらダメ、運動もダメ、学校も休ませた方が良い」と言われてたそうです。

その子の親としては、まさか頭を叩かれると思っていなかったので体育の時間だけは参加させずに登校させてたらしいです。そして、そのことはクラスメイトには知らせずに担任の先生だけに知らせていた状況でした。

先生から手術のことを聞かされ、ママが相手の母親に謝罪の電話をしました。

烈火の如く怒られるママ。

「今後、うちの子が具合悪くなったらすぐ電話します。そしたら責任取れるんですか?」絶対に頭に衝撃を与えちゃいけないと言われた状況だったので相手の言うことも もっともです。その日の夜に、具合が急に悪くなってもおかしくありません。

、、、、。

かん太も自分のしたことの大きさが分かったみたいで反論せずに聞いていました。

、、。

幸いに叩かれた子の容態が悪くなることはありませんでした。

、、、そして、かん太も その日から人を叩かなくなりました。

口喧嘩して友達に叩かれも、叩きかえすこともなくすぐに担任に○○君に叩かれました、と報告するようになりました。

ママと療育の先生と学校の先生が日々、言ってきたことがやっと実践できるようになりました。

 

 

今までかん太に叩かれた男の子、女の子、ごめんね。かん太をあきらめずに日々、療育や指導下さった先生たち、ママ。

、、、ありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。

 

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